経歴・プロフィール

人生紙芝居 DVD
取材・制作責任者の経歴・プロフィール

profile2

  • 昭和37年夏、静岡県沼津市立病院で出生、当時は伯母(父の姉)の勤める大岡郵便局の2階に間借りしていたとのこと(全く記憶がない)
  • 昭和39年 駿東郡長泉町本宿に引越、七五三で三島大社へ(記憶無)
  • 昭和42-3年 長泉町立南幼稚園、年少黄組、年長赤組 講堂の屋根がかまぼこのようで、フクロウが迷い込んだ記憶がある
  • 昭和44年 長泉町立南小学校 1年1組、小野進くんと大川さんという女の子しか覚えていない 6年生の鉄琴を奏でる髪の長い女の子が好きだった
  • 昭和45年 東京都南多摩郡多摩町連光寺に引越 多摩立第一小学校に転校(2年生夏、転校生は案の定いじめられるが被害妄想も…)
  • 昭和49年 家のすぐ目の前に多摩市立連光寺小学校開校、6年生で転入、第一回卒業生となる
  • 昭和50年 多摩市立多摩中学校入学、バレーボール部に(隣に住む先輩の影響)
  • 昭和53年 都立永山高等学校入学、バレーボール部、2年の時に練習試合で川合俊一のブロックを破ったがその後連続シャットアウト 3年時、剣道部の子に恋するも破れ、学校帰りにポケット瓶ウィスキーでうさはらし
  • 昭和56年 新宿セミナーで一年間浪人、新宿の雑踏で様々な人生を垣間見る
  • 昭和57年 不合格続きの中、大東文化大学にようやく滑り込む 1-2年時、埼玉県東松山市高坂の最も安い寮に住み、3年時、多摩から通おうとするが挫けて、板橋区常盤台の月8000円の4畳半に下宿 英語学科、ESSで3年間英語で喋ろうとするがうまくならなかった(3年の時に大会で上祐史浩を見た)
  • 昭和61年 大学の先輩が取締役までになっている株式会社トヨシマビジネスに入社、当時は売り手市場で内定をたくさんもらったと自慢するバカ学生が多くいたバブルだった 企業説明会のときに、竹村健一氏、堺屋太一氏、石井威望氏が講演会と称してこの会社のことをほめちぎっていた 騙されたとまでは言えないが、所詮クライアントの喜ぶことを宣伝する営業活動を見破れなかった自分が浅はかだったということ
  • ユニバック(のちにユニシス)からヘッドハンティングした技術者に設計させ、日立のおおみか工場でOEM生産した、ハンディーターミナルという端末を自社ブランドで、MAT-75、MAT90、ルートマンと呼んで売っていた 使用現場は、まだ発注のシステムが整っていないルートセールスの現場で、たとえばセブンイレブン店舗でEOS(電子発注)がしにくい、もしくはベンダーがEOSにしたくない商品の営業マンが棚に勝手に自社商品を押し込んで納入する際に伝票を発行する仕組みだ 今考えるとものすごい現場だった 夏の炎天下、エアコンなどない配送トラックの車内は50-60度にもなる。配送担当者の汗の臭いが染み付く補助席に135桁のドットインパクトプリンターをくくりつけ、12ボルトの液無バッテリーで駆動させるのだ しかも、日本語印刷のコマンドを送るのは8ビットCPU、メモリー4KBのアセンブラーで組まれ、EP-ROMに焼き付けたプログラム 壊れないほうがおかしい
  • グリコ協同乳業、丸山園などで温度からプリンターを守るため銀色の遮熱カバーをつけていたものだ
  • 入社後にわかったのだが、「クリスチャンビジネス」と称す社長の妄想で混乱し、数年後、バブル崩壊と呼応し、グループ会社のマンションの初穂とともに社会から消滅した模様。(名古屋の株式会社トヨシマビジネスシステムとは無関係、初穂はマンション管理でグローリアと改称し残っている)
  • 昭和63年 セブン-イレブンでシステム共同提案していた都築電気工業(株)(のちに都築電気(株)に)転職 富士通のオフコンKシリーズ K-10などを売る このころのパソコンは、IBMではPS/55、富士通では、FM-16β、FMRなどでハードディスクを持たず、5.25インチ、640KBのフロッピーディスクでプログラムがロードされるという代物であった
  • セブン-イレブンでは昭和57年ころから、電子発注台帳(EOB)という発注システムを稼働させているが、当時発注データの処理は衛星通信で米国でバッチ処理していたとのことだ それを、野村総研、富士通、都築電気、ゼロックスで国内で処理できるシステムを構築した 都築電気はベンダーシステムという共同配送センターに各店舗向けのデータ、納入各社のデータが集まり各社の小計が入った納入伝票とともに商品が配送される仕組み しかし、電子発注と言いながらも、データと並行して紙ベースの伝票の確認、回収、決済の仕組みであった
  • セブン-イレブンに追いつけと、あやかれといくつかのフランチャイズコンビニエンスストアが誕生した 食品卸、百貨店が新規参入したがもう既に大手が20年近くのシステムノウハウの蓄積をし、数千店舗のスケールメリットを享受していたので新規参入は困難であった フランチャイズ会計というFC店舗とFC本部の取り分を決める仕組みを真似るためセブンイレブンに勤めていた元社員をコンサルとして据え、2-3億の開発費を投じて、受発注システム、FC会計システム、店舗システムを構築した
  • 店舗システムでは、富士通はテック(のちの東芝TEC)やNECに連戦連敗であった テック、NECはセブンイレブン向けに開発した機器やシステムコストをセブンイレブンは負担しなかったので、そのまま他のコンビニチェーン顧客に売ってようやく回収していた
  • コンビニ向けPOSシステムはテックの独占市場であったので、数十店舗の新規チェーンには、テックは無視を決め込み、売ってくれさえしなかった そこで何とかコンビニ市場に食らいこみたい富士通は、パソコン、MS-DOSベースのフロッピーディスクロードのPOSレジを作り、テックに食らい付こうとした しかし、アルバイト、パートの素人に使われるコンピュータ、24時間稼働、屋外と変わりない塵埃、温度変化、湿度変化に開発陣が音をあげた 「コンビニで使われることは想定したくありません」と開発側から思わず本音が出てしまうほど、南多摩工場でのやり取りはエキサイトしていた おそらく、もう誰も覚えていないだろうが、当時プライドの塊のような工場の開発陣は、何でディーラーのぺいぺいにここまで要求されなきゃいけないんだと憤慨していたに違いない しかし、図解マニュアルを非力なOASYSで作って導入展開したり、ディーラーの一営業担当の枠を壊し続け、「楽しく安心して使ってもらいたい」という信念があったので、会社の枠を超えたチーム内の絆は強かった 今思えば一番充実して楽しいサラリーマン時代であった
  • K-300、K600シリーズを売っていた当時の驚くべき値段、増設メモリ2MB 100万円、ハードディスク300MB、300万円もした(確か5インチ)

続く…かもしれません…

コメント / トラックバック 2 件 があります

  • 成原 出:

    以前、都築電気に居た小野さんですか?
    覚えていますか?都築シーイーセンターに居た成原です。
    迷惑じゃなかったらメール下さい。

  • 成原 出:

    都築電気にいた小野さんですか?
    覚えていますか?都築シーイーセンターにいた成原です。
    迷惑じゃなかったらメール下さい。

コメントをどうぞ

制作日記 月別